《Wild Carnations (常夏)》 But if you do wish to demonstrate your keen sense of duty, then see if you can't manage to let your words have a little more room. Space them a little more generously. Let them be drawn out a little more and I will feel that the years of my life are being drawn out with them." He smiled at his little joke. "I've always had the fastest tongue. Mother scolded me for it, way back when I was a baby. The steward of the Myohoji Temple, she said, it was all his fault. He was there when I was born way out in Omi, and he had the fastest tongue too, and that was where I got it. I'll see what I can do about it." She said it most solemnly, as if prepared to sacrifice anything in the cause of filial duty. He was touched.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「常夏(とこなつ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。@1929年 王陽明傳習録 掃葉山房 漢文 古籍 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。
原文は「源氏物語・常夏の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 夫弓者表天地 古文書。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。舎利講式 鎌倉時代写 紙本墨書 約29.5×560cm 1巻 仏教 真言 古文書。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。畊香館画謄・紅之部・雪之部・2冊/瀧和亭・大岡雲峰と鉄翁祖門に学ぶ・花鳥画を得意とし宮内省と外務省の絵画御用を務め帝室技芸員となった。現在の今上天皇と系譜がつながっている。昭和12年 法隆寺の建築 1937年 図版 写真 検索:聖徳宗 総本山 五重塔 大宝蔵院 釈迦如来 木造建築群 伽藍 金堂 中門 白黒 壁画 絹本絵 佛像。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。絵図面古文書●宝永2年(1705) 城郭図 縄張り 240504。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。『頭書絵入 小野篁歌字尽』森屋治兵衛刊 江戸時代和本 往来物。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。仏教語大辞典 上下+別館・索引 3冊 中村元 著 出版社 東京書籍株式会社 昭和五十年第一版発行 古書 古文書 和書 古本 骨董 古美術。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。■『滑稽發句屋奈幾樽/川柳猫鯰』時雨庵蛙水編纂。舊邦堂陳人校正。伊澤駒吉編輯發行。明治22年大阪南區長堀橋筋・前野茂久次初刷。。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。【貴重 入手困難 激ヤバ 激レア 謎めいた逸品 年代不明】『雲上道真公』(天神様)本体サイズ:縦約154cm、横約40cm 桐箱入り 軸。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。『雄躍すべき大正乙卯の米界』藤井商店米穀部編纂 大正四年(1915) 第一次世界大戦 米騒動 藤井忠兵衛商店【24-0412-8】。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。竹須喜久止編 徳富蘇峰直筆揮毫『洗足池帖 徳富蘇峰詩碑実拓帖』昭和12年頃成立か 勝海舟/西郷隆盛顕彰碑の実物拓本帖。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。稀少 1850年 嘉永3年 堀川唄 真實録 木版画 浮世絵 山姥 鬼婆 鬼女 妖怪 化物 怪奇 大鷹 侍 刀 着物 和本 草双紙 古書 古文書 約100ページ。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。美濃派以哉派 田中尊雅 白々亭写本 三冊 田中尊雅。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。6 古文書 模写 写し 写本 千葉県令 申上書 市町村 沿革 明治維新 肉筆 浪岡村 滑川村 中郷村。また、各巻ごとの書かれた年については不明。最短即日発送 激レア 初版 1902年 小泉八雲 ラフカディオ・ハーン『骨董』 KOTTO 洋書 古書 GENJIRO YETO アンティーク 現品限り 英語版。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【和本】三刻 春秋左氏傳校本 全30巻・15冊 著者: 尾張秦鼎校本・他 明治4年 出版社:山内屋五郎助・他★ko2.01。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。曲亭馬琴著 歌川豊広画『朝夷巡嶋記 第四編』(3冊)文政4年 河内屋太助他刊 江戸時代和本 読本 朝夷巡島記全伝。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。徳礼賢『中国天主教伝教史』中華民国23年 商務印書館刊(中国・上海)イエズス会宣教師資料 キリスト教 カトリック。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。国民いろは字引 全◆加藤侔之、浜本明昇堂、明治23年/c990。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。佐久間修理啓上書(仮題) 大垣藩士/長原武自筆寫本 大垣藩士/山本多右衛門舊藏本。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。☆2896和本明治13年(1880)序合巻「霜夜鐘十時辻筮」2編上中下3冊/大蘇芳年/武田交来/絵入古書古文書/木版摺り/浮世絵。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。U0Dω 和書 小説 尾花集 五重塔 幸田露伴 青木嵩山堂 明治36年 発行 古書 読み物。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。戦後の満州四星霜/梅震/昭和33年/長春・哈爾濱・長春から瀋陽まで・大連・舞鶴-東京/日本銀行旧友会誌「日の友」に連載したものに補筆。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。写図『応永二十四年難波七浦図 全』宝暦5年写 応永24年に描かれた大坂近辺の港湾図 江戸時代古地図 和本。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。f240502031〇彩色木版画 広重 富士三十六景 甲斐大月の原 山梨県大月市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。国寳 近衛和漢朗詠集 137/500 昭和48年11月1 発行 定価220000。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。源信『阿弥陀経略記』承応3年 秋田屋平左衛門刊 江戸時代和本 天台宗 仏教書 仏書。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。楳窓布席著 素封編『耳さらひ集』天保2年一具庵蔵版/金花堂須原屋佐助 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句 耳さらへ集。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。松井輝星(松井羅洲)『它山石初編』(全四巻四冊揃)弘化2年 銭屋惣四郎他刊 江戸時代和本 易学者による随筆集。
出品した「源氏物語」は常夏(とこなつ)の内容の要旨
「常夏の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。廓東近丸撰『噺の尻馬』(全5冊揃)文政6年河内屋儀助他刊 百溪禄郎太旧蔵書(印記「百溪蔵書」)江戸時代和本 噺本 落語 妖怪図入。第26帖。送料無料!? 戦前 主婦之友6月号付録 島田啓三 新案カハリ絵 コロコロ探検隊 昭和24年あたり 当時物 昭和レトロ。光源氏36歳の5月の話玉鬘十帖の第26帖。前橋藩藩士屋敷割図。巻名は光源氏と玉鬘が常夏の花(撫子)を詠んだ和歌「なでしこのとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ」にちなむ。上田公長『公長略画』(全2冊揃)文久3年伊丹屋善兵衛刊 彩色木版画譜 江戸時代和本 絵手本。源氏の君36歳の夏の話。『小倉百人一首 全』明治18年 東浦英二郎刊(山梨県甲府)明治時代和本。盛夏の六条院で、釣殿で涼んでいた源氏は夕霧を訪ねてきた内大臣家の子息たちに、最近新しく迎えられた落胤の姫君(近江の君)のことを尋ねる。新聞「日本心霊」昭和五年十月廿日 第四百五十号 日本心霊社/オカルト 心霊現象 超常現象【24-0222-2】。夕霧と雲居の雁の仲を許さない不快も手伝って痛烈に皮肉った。B348・シンガポール中心に同胞活躍「南洋の50年」 1990年コピー版。内大臣と夕顔の君の姫君である玉鬘の姫君は、いつになったら実父・内大臣に会えるのか思い内大臣と源氏の君の間の板ばさみの玉鬘であった。f240502029〇彩色木版画 広重 富士三十六景 信濃塩尻峠 長野県岡谷市・塩尻市 アダチ版画研究所 昭和50年〇和本古書古文書。一方、源氏の皮肉を聞いた内大臣も激怒。佐藤鶴城(佐藤民之助)『とし玉』河内屋喜兵衛他刊 水戸藩に仕えた和方の医師 江戸時代和本 医学書 医書 東洋医学 健康法 長寿法。雲居の雁のところへ出向いたが、夏の暑い盛りに単を羽織ってうたた寝していた姿に「はしたない」と説教する。古文書 太政官日誌 明治紀元戌辰年 第百二~百十 9巻まとめて。またあまりに姫君らしくない近江の君の処遇に思い悩む。【貴重 豪華版 本体表紙極美】『平安紋鑑』昭和11年(初版 7月5日3版)和綴 京都染物同業組合紋上絵部 家紋、源氏香、花押、他多数掲載。そこで長女・弘徽殿女御の元に行儀見習いへ出すことを決めたが、女御へ贈られた文も和歌も支離滅裂な出来で、女房たちの失笑を買うのだった。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 松平 書状 古文書 歴史的逸品。
「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。青木永澄編『新刻仁風一覧 上巻』享保17年序刊 江戸時代和本 天災(享保の大飢饉)の寄附者一覧名簿 災害支援史。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。川尻宝岑序 一糸画『寛政秘録夢物語』明治18年 村杉吉作刊/永昌堂発兌 明治時代和本 浮世絵 錦絵。この言葉は、「常夏」の巻の原文で「窓の内なるほどに従ひてゆかしく思うべかめるわざなれば」とある。0026716 前々太平記 全20冊(21巻)揃 平住専安 毛利田庄太郎 正徳5年 伊予吉田藩 御殿医。一般にごく普通の男でさへ深窓の両家の娘には心をひかれるが身分の高い六条院の内にいる玉鬘の姫のことを世間では美しいと評判ですよと源氏の君が玉鬘の姫君に伝える場面である。辻聴花 1912年 京劇脚本 蘭花記 脚本 聽花散人著 梨淡菊幽深處 蔵版 辻武雄 非売品 古書 支那 中国 満州 大陸 戦前 風俗 文化。玉鬘の姫君の美しさを中国の絶世の美女と称される楊貴妃をたとえた漢詩であることが「深窓」の文字からもくみとることができる。御江戸町名 文久三年補刻。紫式部が「常夏」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。三村竹清旧蔵書 松平定信編『集古十種』(2冊セット=「扁額之部」+「七祖賛之部 文房之部」)明治37年 郁文舎刊。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。和泉草 巻八 巻九 茶道 古文書 古書 和書。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
「常夏」の巻は英文で「Wild Carnations」と表記されます。田川鳳朗編『続砺浪山集 続有磯海集』(全2冊揃)天保11年後跋刊 江戸時代和本 俳諧書 連歌 俳句 俳書 富山県郷土資料 松尾芭蕉関連書。
《自筆上部の「常夏(とこなつ)」自筆原本の上部には、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。新聞「日本心霊」昭和六年二月十日 第四百六十一号 日本心霊社/オカルト 心霊現象 超常現象【24-0222-3】。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。古文書 金剛童子法 仏教 密教 江戸時代 検)仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空海親鸞法然神道 不動明王 古書和書古本写本 NR。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。江戸時代 貞亭二年 伊藤次郎兵衛刊行 慈海宋順 「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経 金剛手菩薩説」お経 経本 古文書。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。阿波藩士 甲立物并指物等の資料。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。太平記新釈 石田吉貞 著 大同館書店 大正15年 裸本。)
「自筆原本」
自筆下二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。平戸松浦家編『梅沢荘賀寿詞集』昭和8年刊 献呈箋付(伯爵松浦厚)漢詩集 和本 和装活字本。
自筆上部の「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。さなえ956 江戸期 越前松平藩主 松平春嶽公直筆 御添削文 碧水拝 漢詩11首 本物保証 古文書 越前府中旧家蔵うぶ出し。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。■『拍手喝采滑稽獨演説』痩々亭骨皮道人演説・和良井鋤太筆記。■明治20年東京共隆社發兌版の完璧精緻寫本。■墨蹟は小野道風も吃驚!。。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。f23122905〇佳人之奇遇 1~10巻 10冊 東海散士 柴四郎 博文堂 明治24年 会津の遺臣である東海散士佳人之奇遇〇和本古書古文書。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名一節です。水島卜也(水島之成)『草露伝』(全20巻4冊揃)元禄9年序(伊藤甚右衛門/伊藤幸氏)江戸時代和本(写本)有職故実書 武家故実書。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。★Z60和本明治27年(1894)古地図「新潟県中頸城郡根越村大字曽根田地図」1冊(21図)/上越市/古書古文書/手書き。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。完品 関野準一郎 木版画4枚入『絵入小説 天目山荘』限定160部 昭和30年 私家版。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。47178★庖廚備用倭名本草 1~13巻 江戸 古典 中古 経年保管品。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。N23021111○熊谷県布達明治8年○本県利根郡湯檜曾村より新潟県魚沼郡清水村迄 清水越の開鑿落成 三国嶺通に比し里程短縮 熊谷県権令梶取素。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という意味である。邪宗門 北原白秋 日焼け強/HCZG。この漢詩文の落款は、玄宗皇帝が楊貴妃を愛するあまりの漢詩として有名。平城明徳序『元明花鳥画典』(全2冊揃)1883年 青木嵩山堂刊 明治時代和本 木版画 元明華鳥画典 中国絵画 中国美術 中国古画。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。噎反胃論 袋附 月向太田主計先生著。》
《やく(役)》・・・・・なゝり。j∞6 まとめて 江戸期 春秋外伝国語定本 一~六 六冊揃い 文政二年 和本 古書/B43。かくたまさかにあ(会)へる
おや(親)のけう(孝)せんの心あらは、この物のたま(宣)ふ
こゑ(声)を、すこ(少)しのとめてき(聞)かせ給へ。卜部氏訳『通辯独学並五大洲地名箋』明治6年 宝玉堂蔵・河内屋真七他刊 明治時代和本 明治初期の外国地名書 地理書 地誌。
さらはいのち(命)もの(延)ひなんかし」と、
をこめい給へるおとゝ(大臣)にて、ほゝゑみてのたま(宣)ふ。【明治銅版画】実説真田三代記 銅版絵本 鎌田在明 明治27年 14ページ 17×12cm☆和本 絵入 挿絵 唐本 B1yn。
「した(舌)のほん(本)しよう(性)にこそは侍らめ。小金井純子『歌集 黒森 Schwarzwald 個性叢書第23篇』昭和48年 短歌新聞社刊 直筆献呈署名入(森於菟令夫人・森富貴宛)星新一従姉。
おさな(幼)く侍しとき(時)たに、こはゝ(母)のつね(常)に
くるしかりおし(教)へ侍し。軍事資料 兵営図 絵図★「歩兵第三十連隊略図」明治34年11月発行 所在地 新津 - 村松 - 高田。めう(妙)ほう(法)寺のへ(別)
たう(当)大とこ(徳)の、うふ(産)や(屋)に侍りける、
あへ物となむなけき侍りたうひし。東京名所 巻一・巻三 寫本 江戸名所圖會抜萃。いかて此した(舌)と(疾)さ、
やめ侍らむ」と思ひさは(騒)きたるも、いとけう(孝)
やう(養)の心ふか(深)く、あはれなりとみ(見)給ふ。J23010620〇新板塵劫記 上中下巻 3巻合本 吉田光由編 江戸前期 継子だて ねずみ算〇和本古書古文書。
「そのけ(気)ちか(近)くい(入)りた(立)ち
たりけん・・・・・《大とこ(徳)こそ》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。■『滑稽席上演説』痩々亭骨皮道人(西森武城)著。明治23年初版。東京京橋區銀座貳丁目・東京共隆社發行。ボール表紙本。汚本瑕疵有ります。。
《「源氏物語」常夏(とこなつ)の巻》
《六条院の釣殿の宴・源氏の君、高欄によりかかる》
《源氏の君と明石の君の娘・明石の姫君が将来、天皇の后への夢を語る》
《源氏の君と明石の君の娘・明石の姫君が将来、天皇の后として立后》
《深窓の姫君(内大臣の娘・雲居の雁の姫君)を将来の后にと願う内大臣の心情》
《内大臣が双六を打つ姫君を襖越しのぞく有名な場面の原文》
《近江の君の誕生の際、延暦寺の別院・妙法寺の長官が安産祈願を行う》
《(近江の君)「なんのそんなことは。肥前長崎出島之図 江戸後期寫 Teishu画。ご大層に考えてお勤めを
いたしますのなら、なるほど窮屈でしょうけれど……。【T079】遠州流 生花 巖松齋法眼一鵰撰 四季之園 全四巻 木版本 版画。
大御大(おおみおお)壺取(つぼと)りの役ででもお仕えいたしましょう」
と申しあげなさるので、大臣は辛抱がおできにならずお笑い出しになり、
(内大臣)「それは不相応な》・・・・・・役目でしょうな。『敷島勝観』野上喜雄・明治34年・関西写真製版印刷合資会社・ 台湾・琉球・アイヌ・小樽・鉄道 明治期風景写真集。
こうしてたまにやっと会えた親に孝行しようという気持があるのなら、
そなたの何かおっしゃる声を、もう少しゆっくり聞かせてくだされ。小國郷史 禿迷廬 著【非売品】/1960年6月30日 発行。
そうしたら、わたしの寿命も延びるにちがいないな」
と、おどけたところのある大臣なので、苦笑しながらおっしゃる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状。
(内大臣)「舌の生れつきなのでございましょう。唐詩連材 明和5年 江戸時代 詩学 中国詩 古書和書古本 AA。
幼うございました折でさえ、私の母がいつも苦にして
注意しておりました。浅田一鳥・豊竹応律他作『前九年奥州合戦』宝暦7年 鱗形屋孫兵衛・八文字屋八左衛門刊 江戸時代和本 浄瑠璃本。妙法寺の別当大徳が私の生れたときに
産屋(うぶや)に控えておりましたが、それにあやかったせいだと嘆いておられました。英吉利文典。
なんぞしてこの早口を直すことにいたしましょう」
と、これは大変なことだと思っているのも、まことに
親孝行の心が深く感心なことだと大臣はごらんになっている。存覚(光玄)『顕名鈔』(全2冊揃)延宝6年 丁子屋長兵衛刊 江戸時代和本 仏教書 仏書 鎌倉時代-南北朝時代の浄土真宗の僧。
(内大臣)「その話の、すぐ近くに入りこんで
いたとやらの・・・・・《大徳こそ、まったく困ったご仁でしたな。泉花堂三蝶『諸鳥飼伝百千鳥』寛政11年序 飼い鳥の餌の製法や病気治療法など鳥の飼育全般を解説した博物学書 江戸時代和本明治刷。
その早口はまちがいなく大徳の前世で犯した罪の報いらしい。歌舞伎音曲 芸娼妓事情 通人必携 全 漫著:花笠文京 明治17年 繪入自由出版社★Hi.43。
(おし)と言吃(ことどもり)とを、法華経の悪口を言った罪にも数えていますよ」》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。歌川国政(梅堂小国政)『歴史叢画』明治25年 牧金之助刊 彩色木版画譜 明治時代和本 歴史画 浮世絵 錦絵。
《Wild Carnations (常夏)》
But if you do wish to demonstrate your keen sense of duty,
then see if you can't manage to let your words have
a little more room.
Space them a little more generously.
Let them be drawn out a little more and I will feel
that the years of my life are being drawn out with them."
He smiled at his little joke.
"I've always had the fastest tongue.
Mother scolded me for it, way back when I was a baby.
The steward of the Myohoji Temple, she said,
it was all his fault.
He was there when I was born way out in Omi,
and he had the fastest tongue too, and that was where I got it.
I'll see what I can do about it."
She said it most solemnly, as if prepared to sacrifice anything
in the cause of filial duty.
He was touched.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《常夏》
能如此,我的寿命也可延了。坂下門外の変 関係文書 犬養毅 鳩山一郎 古文書【24-0219-1】。”位大臣善于滑稽,
着笑容。西天東土/神月徹宗/非売品/大正12年/支那に入り上代の禅跡を訪ひ次で印度に遊び遂に仏世の聖風を慕ふ。近江君:
“我的舌是天生成如此的呀!
我从小就,我那已故的常常苦苦地息着告我:
‘出世,妙法寺那个快嘴快舌的老走我房里来念,
便肖似了他。摂大乗論講読 上田義文 昭和56年 浄土真宗 仏教 検)親鸞本願寺仏陀空海浄土宗浄土真宗真言宗 戦前明治大正古書和書古本 NF。’很替我担心。【入手不可 幻の品 秘伝書 巻物 直筆 流派創設に!】『清風流 秘書』一巻 明治32年1899年 水野竹流齋清風 竹流齋不々 生花 華道 未生流。
我得想个法子改了毛病才好。【和本】解剖攬要 田口和美蔵版 英蘭堂発行 明治10年 1〜13下 セット まとめ 古書 古文書。”
内大臣也很替担心,但听了,
得有一片十分深的孝心,便:
“走房里来念的老,不是个好人。幕府領甲府代官所竹日向村古文書●明治5年頃 教諭談抜書 善立寺物 長原大乗 46丁 山梨郡竹日向村 現在の甲府市 240603 古文書。BR>他有毛病,正是前世罪的。北斎漫画? 風俗 風景名所ほか 絵手本 江戸 浮世絵 0112V1G。犹似巴和口吃,
是大乘典的。大和国大峯山略図 袋付き 発行:奈良県山中富次郎 明治22年8月 ☆修験道 山伏 修行の場 仏教 鳥瞰図 古地図 資料 S3yn。”
内大臣本想把送交弘徽殿女御,此又不妥。王羲之 拓本 複製 大正元年 真草千字文 小林写真製版所 楊守敬 内藤湖南跋 小川為次郎 1217T1G。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」常夏の巻の末尾(原本番号24-A)の押印。宮島大八編 滄浪森茂(森滄浪)著『滄浪集』昭和10年 井坂秀雄刊 上海東亞同文書院や満洲鉄道につとめた漢詩人の漢詩文集 和装活字本 和本。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。『改正諸罰則一覧 法制局蔵版』明治12年博文本社 明治時代和本 郵便・鉄道・裁判所呼出・証券・狩猟などに関する罪状と罰則(罰金)一覧書。冬姫は内大臣・通誠の養女。小林善八(小林鶯里)『小説豊臣秀吉』昭和11年 大京堂書店刊 初版本。
冬姫は通称。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 小笠原 小笠掛之書 古文書。正式な名は伊達貞子。広川正編輯『清楽横笛独時習』明治26年 吉沢富太郎刊 清楽譜 明清楽 中国音楽 明治時代和本。
左上の篆書体は、「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。生花古流百記 上下/ 和服裁縫全集 / 相馬日記 かなり古いもの全て 古書セット アンティーク。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。古い紙物 希少 日本流射術傳言添状・其の他 玉虫俊次郎 検索用語→Aレター明治江戸古文書資料巻物古書日本流曲全弓射術朱印状。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。(11)珍品古書和本「万葉集類句 一~五」計5冊、長歌部? 寛政十一年発行? 山上憶良、大伴家持、山辺赤人・・・(11)。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。戦前資料 欧州戦争と各国の臨時措置 第1輯 昭和14年 大阪商工会議所 BD03。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(常夏の巻)MRI 26―18B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「常夏の巻」の資料
下記写真は、源氏の君とその子息・夕霧を訪ねた内大臣の子息たちが源氏の君と話しをかわす場面を描いております中央が源氏の君、その左が夕霧。【戦前・大正5年版】嘉永元年発行『甲冑着用図(完1冊+付録上下2冊)』3冊揃い●甲冑著用圖●松岡明義●木版彩色 文壽萬次郎/山崎安太郎。そのほかが内大臣の子息たち。蕪村筆 三十六歌仙。
上記絵巻は、源氏の君と話しをかわす内大臣の子息たち。岡本韋庵編『義勇芳軌』(全2冊揃)明治18年岡本監輔刊(小石川小日向) 中国・日本の義勇 明治時代和本。
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。【倉敷浅尾騒動史】 渡辺頼母編 大正8年。
《「養在深窓人未知」(養われて深窓に在あり 人いまだ識らず)という篆書印が押捺されている。頼山陽選『古文典刑』(全3冊揃)河内屋茂兵衛他版 江戸時代和本 岡山県師範学校旧蔵書。言葉の意味は、「良家の娘だから深窓の令嬢として育ったのでしょう」という篆書印の内容です。天保年間棋譜(天保12・13年の対局が多数) 3冊 計122丁 囲棋 写本 古文書。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。菅茶山『黄葉夕陽村舎詩 前編』(全八巻附録二巻五冊揃)弘化4年 河内屋喜兵衛他刊 江戸時代和本 漢詩集。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。古書_ 寛政八丙辰初から昭和四十三年版+古文書のセット。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。深澤多市輯録『羽陰詩家小伝 全』大正2年序 深沢多市刊 秋田県の詩人(主として漢詩人)の略伝集 羽陰詩家小傳。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。観て来た満鮮/東京市立小石川工業学校長・杉山佐七先生/非売品/昭和10年/國民の多數が満洲國の賞状を正視し理解し認識しなければな ぬ。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。f#6 特装本 戦前書籍 鮭鱒聚苑 松下高・高山謙治/著 昭和17年 水産社 1500部限定 当時物 /M04。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。茶之湯故實奥儀鈔巻四・茶之湯故實奥儀鈔巻五・2冊/元禄十一年/和本・貴重茶道史料。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。近江彦根藩領出流原村古文書●文久3年 人相書写・御触書 新徴隊関係 1+8通 下野安蘇郡 現在の栃木県佐野市 240504 102。撮影後、展示のために再表装をしております。原田道義著 歌川広重口絵『東京開化繁昌詩選』明治7年序 須原屋伊八刊 明治時代和本 漢文 漢詩 漢詩文。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。f24020805〇文の文庫 書淫欄主人序編 艶書 艶本 江戸末期〇和本古書古文書。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。【古書】曹洞宗通信講座1~13 13冊 昭和二十五年 二十六年 教学研究所 20240412B07。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。鍛冶精要・初篇/小澤国太郎/松井周助・小澤弁造校閲/明治21年/刀剣及冶工の名称・造刀及磨刀の法・包丁類焼入の法・鍛着法・鐵及鋼等の説明。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。絵本直指○ 一・ニの巻。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。『両点講釈大全商売往来 全』文久元年 玉養堂若林喜兵衛刊 江戸時代和本 往来物 浮世絵師絵入本。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。藤原姓小幡氏譜 小幡氏系圖。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。威震快聲・剣舞博士/故榊原健吉先生門人・講武館・山田次郎吉編纂/明治30年/鹿島直心影流独特の剣風を以て明治大正の剣道界に異彩を放つ。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘 甲冑之部 鎧着 古文書。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。鼻山人(東里山人)『言語光沢合世鏡』(初編全3巻揃) 天保5年序刊 江戸時代和本 人情本 彩色木版画4丁入 浮世絵 錦絵。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。滝口雅子 自筆書簡7通(真筆保証品)岸田泰政宛 1957-67年 ロシア宛エアメール。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。兒島高德事蹟私考・児島高徳/尾形惣三郎/昭和3年/元弘の乱に後醍醐天皇に応じて挙兵・天皇が隠岐国へ流される時途中で天皇を迎えようとした。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。皇国時報・96冊/神道雑誌/新内閣と祭政一致・靖国神社臨時祭・北支事変の局面開展と神社人の重大覚悟・皇道日本の主張・婦人と愛国運動。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。岡本監輔(岡本韋庵)著 三宅憲章校『万国通典』(全6冊揃)明治17年 集義館蔵版 明治時代和本 阿波国(徳島県)生の北海道・樺太探検家。母は後水尾天皇皇女女二宮。耕香館画謄 畊香館画謄 全4冊揃 瀧和亭 中国書画 紅之部、香之部、雪之部、處之部。実母は近衛家女房(瑤林院)。☆E0160和本明治5~7年千葉古記録「御布告留」4冊/木更津県埴生郡上永吉村(茂原市)/古書古文書/手書き。幼名は多治丸。新井藤次郎・近藤清太郎編『古今模様鑑』(全2冊揃)明治15-18年刊 銅版画譜 図案集 明治時代和本。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 古文書 書状。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。華厳遊心法界記。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。伊良子光信編 中川重麗校『金石図解 全』明治15年 村上勘兵衛刊 明治時代和本 銅版画口絵入 鉱石・鉱物類を図版入りで紹介。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。本山彦一旧蔵書 中井竹山著 渋井考徳撰 細井平洲評『西上記 完』嘉永6年刻成 和泉屋吉兵衛刊 江戸時代和本 漢文紀行集 漢文集 紀行文集。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。江戸和本『天台四教儀山簣』上中下全3冊揃 嘉永元年 慧澄和尚/著 多田氏蔵版 仏教 天台宗 (和書 古文書 唐本。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。以呂波の外仮名の本字 鱗形屋孫兵衛新板。
不昧公 公卿 肉筆 保障 保証 真筆 真筆 親筆 古筆 本物保証 本物保障 室町 掛軸 掛け軸 自筆 天皇 茶道具 宗鑑 良寛 伝来 歌仙 極め 極札 極め札 鑑定